摩擦を避けているとより問題が大きくなる
こんばんは、暗闇列島です。
今日、悲しい出来事がありました。
私にしては珍しく仕事意外で外出したのですが、駅の改札をスイカで通ろうとした時のことです。
私のすぐ前の男性が、スイカをかざしたところ、残高不足だと思いますが、赤ランプがつきました。
私は赤ランプが付いたのを確認する前にスイカをかざしたので、そのまま通りたかったのですが、
引き返そうとした前の男性に「どいて!」と怒られてしまいました。
男性は私を通してから引き返してくれても良かったと思いますが、どうして私が怒られなくては
いけないのでしょうか?
私もその場でそう伝えられればよかったのですが、口下手の私はとっさに言葉がでてこなかったので、
黙って改札を戻り、駅員さんに話して、もう一度改札を通してもらいました。
前の男性がちゃんと通れることを確認してから、かざす必要があったと思いますが、混雑している駅
の改札をスムーズに通れるよう常に残高不足がないか確認する、もしくはオートチャージの設定をして
ほしいものです。
前段が長くなりましたが、私が人付き合いの下手なコミュ障の口下手になったのは、元々の性格、成育環境などいろいろ原因はあったと思いますが、面倒くさがりやだったことも一因だったと思います。
何か人とのちょっとした行き違いがあっても「まあ、いいか。ちょっとしたことだし。訂正するのも面倒だし。」となあなあでやり過ごしてきました。
小さなことで一々反論めいた事を言ってさざ波を立てるよりはそのまま見逃したほうが合理的だと思っていました。
面倒くさがりの私はそれが合理的だから、小さなことはおいて置き、大局を見ているのだ、と自分に都合よく考えていました。
しかし大局とは、小さなことの積み重ねです。
小さなことをおろそかにしてきた結果、今の自分が砂上の楼閣のように存在しているような気がしてなりません。
人との行き違いがあったら、その場その場で修正しておくことは手間がかかることではありますが、大きな問題にしないようにする一番の方法だと思います。
今まで小さなことに目をつぶり、事が大きくなってから騒いでいました。
そうではなくて、小さな問題のうちに芽を摘むように、やり方を変えます。
小さな問題であれば、摩擦も少しで済みます。
大きな問題になってから動いても遅いのです。
もっと若いころにいろいろ気づければよかったのですが、ようやく今になって気づきました。
私は人より気づくのが大分遅いと思いますが、それも自分の持ち味だと考えることにします。