暗闇列島日記

人間関係に悩む日常を取り留めもなく、書き綴ります。

仕事を選びすぎると居場所が無くなるよ?

こんばんは、暗闇列島です。

今日、うちの会社で営業店の社員が集まる会議がありました。

その中に、私が新人のころ同じ営業店でお世話になった先輩がいらっしゃいました。

その先輩を遠くから見たのですが、すぐに「あの人だ。」とピンときました。

先輩とは1,2か月のお付き合いで、営業店を異動してからは思い出すことがなかったのですが、

お顔を見た瞬間、思い出しました。

ただ、名前は一部しか思い出せなかったのですが、先輩と話した内容は記憶がよみがえってきました。

人の記憶って曖昧なようで、しっかりしたものでもありますね。

10数年ぶりの再会でしたが、あまり老けていなかった先輩と比べ、私はかなり容姿が変わったので、

声をかけることができませんでした。

新人時代のことを色々思い出しました。

 

 

今日は私の直属の上司である係長のことを書きたいと思います。

係長は半年程前、私の部署に異動してきました。

最初の頃は、笑顔で機嫌良くしていたのですが、しばらくすると、地の部分が出てくるようになりました。

気分の上げ下げが激しく、機嫌が良いときはいいのですが、悪いときはろくに返事もしないのです。

私の職場は女社会です。それもオバサン社会です。

おばさんは体調的に難しいお年頃なので、気分の上げ下げが激しいです。

気分にムラのあるおばさんの扱いには慣れていると思っていましたが、この係長は性格的な問題に加え、

仕事に消極的な人なのです。

仕事に消極的と言うよりは、正確には、うちの部署の仕事をやるのが嫌だったらしく、他の部署を希望していたそうですが、うちに決まったときに、ものすごく落胆したそうです。

嫌々仕事をしているのが、手に取るようにわかります。

しかし、来てしまった以上、腹を据えて頑張れば良いと思うのですが、諦めがつかないらしく、人事権を握っている上司に擦り寄っています。

私も彼女と仕事をするのは気を使うし、苦痛ではありますが、この人は顔を見ると考えていることが丸わかりなので、観察していると非常に興味深いです。

こう言えばこういう反応が返ってくるということが読みやすいので、「次、こう来るな」と内心想像していてその通りになったときは、心の中でガッツポーズをしています。

 

同じ社内にご主人がいらっしゃるのですが、ご主人は正反対の性格をした、気の優しいおとなしい人なので、家庭内では絶対的な専制君主なんだろうな、などと想像しています。

 

でも好きな仕事って、何なのでしょうね。同じ社内で好きな仕事も嫌いな仕事もないだろうに、と思いますが。

こういう人はどこに行っても文句を垂れ流して過ごすのではないでしょうか。


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私には友だちがいない

こんばんは、暗闇列島です。

今年も残すところ、1か月半となりました。

今年やることは今年のうちに、大掃除もそろそろやり始めたいと思います。

 

さて私にはタイトル通り、友だちがいません。

子どものころから人見知りでともだちは少なかったですが、少ないなりにいました。

私は幼稚園時代、習い事をしていたのですが、小学校は公立ではなく、私立に行くことになりました。

幼稚園や習い事でのともだちは公立に行く予定でしたので、周囲と合わなくなるのが嫌で、習い事を止めてしまいました。

いま思えば、私が人間関係について考えた原点でした。

 

小学校ではともだちは出来ましたが、学年が上がるにつれて、人見知りが激しくなり、人付き合いを避けるようになりました。

中学、高校では殆どというか、全く友だちはいませんでした。

昼休みはいつも1人でお弁当を食べていました。

しかしそれが恥ずかしいとか嫌だとか思いませんでした。

以前、「便所飯」という言葉がはやりましたが、そこまでして1人でご飯を食べることを隠す必要があるのか、と衝撃でした。

就職して同僚と一緒にランチをとることが苦痛で、なんだかんだ理由をつけて1人で食べるようにしたことがあります。

私は人と食べるよりも自分1人でご飯を食べる方が好きです。

「1人で食べるよりもみんなで食べたほうがおいしいよ。」とよく言う人がいますが、私にとっては1人で食べる方が、自分のペースで食べることができて、会話もしなくてよいし気楽です。

こうやって書くと変わり者で寂しい人だと思われますが、仕方ありません。その通りの人間ですから。

 

大学時代は地元を離れて上京し、一人暮らしをはじめました。

サークル活動やゼミなどで友だちをつくることが出来ました。

私の人生で一番友だちが多い時期でした。

しかし、卒業して十数年、今でも付き合いのある人はほんの数人で、年1回会うか会わないかという

程度の付き合いで、相手は今でも私のことを友だちと思ってくれているかは不明です。

 

友だちがいないことで、私は他の人とは、ずれた人間になってしまいました。

でも昔に比べると今は「友だちがいない」ことを公言することが増えたと思います。

心強いことです。

友だちがいないことで結婚式・披露宴にもほんの数回しか参加せずに済みました。

時間とお金が助かりました。

 

これからの私の人生で新しく友だちができるとは思えません。

しかし今いる知り合いと、これから知り合う人とは友だちになれなくても、丁寧に付き合っていきたいと

思います。


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被害妄想

こんばんは、暗闇列島です。

 

わたしはある企業のバックオフィスに勤務しています。

前線ではないので、顧客に対し直接応対することはありません。

バックオフィスの電話番号は会社のHP等でも公にされていないので、個人の顧客からの電話はないはずなのですが、それでもどうにか調べてくる方がいて,電話をとるとお客様だったりするので驚きます。

電話の内容はほぼ100%、苦情です。

苦情の内容は、「営業店の対応の悪さ」「社員の態度に対する疑問」「うちの会社の制度的な問題点」などさまざまです。

電話を掛けてくる方は老若男女いらっしゃいますが、高齢者が約8割を占めています。

高齢者の方の電話照会で多いのは、(うちの)社員に勝手に(お金にまつわる)手続をされた」または「家族あるいは知り合いにお金を盗まれた」という内容です。

認知症の症状で「被害妄想を抱きやすくなる。」ということがあるそうです。

電話を掛けてくる高齢者の方とは、よく話が通じないことが多いです。

高齢者の方とのやり取りは直接対面でも意思の疎通が難しい場合があるのに、

まして電話でお話しを伺っても何のことかさっぱりわからないことがあります。

その場合は、「営業店の窓口にお越しいただき、お話しを直接伺いたい。」ことを伝え、切電します。

でも、ほんの2,30分のちにまた同じ方から同じ内容で電話がかかってきたりします。

そしてまた同じ回答を繰り返すのです。

私が新入社員のころは高齢者の方とのやり取りはこれほど頻繁にはありませんでした。

やはり高齢化社会が進んでいるなと実感します。

 

高齢者の方を見ていると、自分が高齢者になったときどんな感じになっているだろう、と思わず想像してしまいます。

こうなりたくない高齢者像というのがあって、

①私はおばあさんだから、が口癖になる

②自分も周囲も不幸にするようなことを毎日繰り返す(お金を盗まれた、と繰り返し騒ぐ)

③寝たきり

以上の3つは本当に避けたいと思います。

でも誰しもお年寄りになりたくてなったわけではない、若いころから健康に気を付けていたとしても、急に病気になることがあるし、認知症にならない保証ありません。

すこしでも老化が先になるように今できることはやっておきたいと思っています。


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会社に私の仲間はいない

こんばんは、暗闇列島です。

 

先日、会社で私の右隣の席に座っている女性が左手の薬指にピカピカ光る指輪をしていました。

彼女は私の知る限り独身だったので思わず「もしかしてご結婚されたのですか?」と聞いてしまいました。彼女は照れながらも肯定して、婚姻届のみ提出して結婚式・披露宴はしないこと、苗字は旧姓を使い続けることなどを話してくれました。

彼女はあまり結婚したことを公にしたくない素振りで、(理由は不明です。)数人の上司意外、誰にも言っていないようでした。

しかし、新しい指輪を左手薬指にしていればみんな察することでしょう。

彼女がいない間に左隣の女性に、

「○○さん、ご結婚されたそうですよ。」と切り出すと、驚いた様子で

「えっ、知らなかった。お祝いしないとね。」

と言っていました。

左隣の女性は社員の中でも年長でリーダー的存在なので、この方に伝えておけば部署内に知れて、お祝いをすることになるだろうと思っていました。

結婚した彼女が公にしたくないと言えども、同じ部署の同僚からお祝いをするのは当然だと思ったからです。

 

しかし、それから一週間立っても二週間立ってもお祝いの話は持ち上がりませんでした。

そればかりか誰も彼女が結婚したことを口に出す人もいません。

左隣の女性ともその後、結婚祝いの話は全く出ていません。

誰も彼女に結婚の話題を切り出す人がおらず、何事もないかのように月日が過ぎていきます。

 

「私って会社で本当に一人なんだな。」と思いました。

彼女が結婚したことは部署内で大騒ぎになったはずです。

失礼ながら性格・年齢的におよそ結婚すると思われていなかった人が結婚したのですから。

でも、誰も私に「○○さん、結婚したなんて、びっくりだね。」など世間話をすることもない。

結婚した彼女が本当に周囲に結婚したことを公表する意思がないのであれば、結婚指輪をはずして会社に来るでしょう。

でも結婚指輪をしているということは、自分からは明らかにしないけど、隠すことでもないと思っているからです。

同じ部署は噂話の好きな人たちが大勢いるのに、誰も結婚のことに触れず「黙殺」です。

なぜ「黙殺」しているのか、私にはわかりません。

結婚した彼女ははっきり言って人望のある人ではありません。

でも、同じ部署の同僚が結婚したらささやかでも皆でお祝いをする習慣のある会社です。

それが今回は完全に無視とは。

私はその理由を誰に聞いていいのかもわかりません。

亀田(仮)さんは情報通ですが、結婚した彼女のことを好きでないので、名前を出しただけで嫌な顔をされそうです。

瀧(仮)さんはそもそも同僚のプライベートな話題に全く興味がないので、聞いても無駄でしょう。

 

プライベートを詮索しないがモットーなのですが、みんなの完全無視ぶりが気になって仕方ありません。

それを確かめようにも確かめる相手がいない。

仕事以外の話も話さないとだめですね。

自分の孤立ぶりを痛感しました。


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料理は出来るに限る

こんばんは、暗闇列島です。

今晩はスーパームーンらしいですが、雨が降っていて見えないのが残念です。

 

私は料理があまり好きではなく、今まで外食がちでした。

面倒くさがりやだし、働いているから、外食がちなのは仕方ないと思っていました。

しかし最近寒くなってきたこともあり、(暑いときは台所に立ちたくないので)ようやく料理をちゃんと

するようになりました。

自炊するようになって、特にダイエットを頑張ったわけでもないのですが、自然に体重が落ちたのです。

そして自炊だと調味料の使用もついつい控え目になって、薄味に慣れ、外食をした時に、「味が濃いな」と思うようになりました。

今まで濃い味を好んでいたので、味覚の変化に驚きました。

 

料理をやりはじめたときは、慣れない手つきでのろのろやっていたのですが、慣れてくると「包丁で切るときはまとめて野菜から切って、次は魚を切ろう」など効率を考えて動けるようになりました。

料理が出来るようになると、仕事も効率的に出来そうな気がして、良いトレーニングになります。

 

今まで料理をつくるのが億劫だったのは、「毎日献立を考えなくてはいけない」ということもありました。

でも毎日献立を変えなくても、同じ物を続けて食べても良いと思います。

肉じゃがとか煮物をまとめて沢山作って、2,3日同じ物を食べることも、この季節は可能です。

献立は基本的にご飯・味噌汁・おかず2品で、2品作れないときは1品だけです。

おかずは魚か肉どちらかを使い、野菜は好きな葉野菜をたくさん食べるようにしています。

 

料理をつくるようになって食費と体重は減って、健康になれたので、これからも続けようと思います。


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腐乱or白骨

こんばんは、暗闇列島です。

高齢者のドライバーによる事故が続いていますが、どうすれば止められるのでしょうか?

身近な高齢者に運転免許証を返納するよう勧めるぐらいしか、思いつきません。

○○歳以上になったら運転禁止と画一的に決めるのも酷な気がします。

後は、自動運転車が広く普及するといいですね。

 

先日仕事中に、故人の顧客の出生から死亡までの戸籍謄本を見ていたのですが、最後の戸籍に「平成○○年10月1日から10日の間に死亡 死亡届届出 親族◇◇ ◇◇」といった内容の印字がされていました。

死亡日が特定されていないということは、おそらく孤独死された後、発見されたということでしょう。

10月1日から10日だと、故人の亡くなられた場所ではまだ残暑がある時期です。

「腐乱かな?白骨かな?」とつい考えてしまいました。

 

発見時の状態も気になるのですが、死亡届を提出された「親族◇◇ ◇◇」さんも戸籍謄本のなかにはじめて出てきたお名前だったので驚きました。

故人は配偶者には先立たれていますが、お子様が3名いらっしゃるのに、お子様ではなく、別の親族の方が死亡届を提出されたということです。

故人は3名のお子様とは疎遠だったのかな、と思わず想像してしまいました。

 

この方が孤独死だったとしても、私は孤独死が悲しいとも哀れだとも思いません。

私も孤独死して、人から気の毒に思われるかもしれません。

でも、それも人の終末の在り方として自然なことで、特別辛いことだとは思わないです。

配偶者や子供がいても人は一人であることに変わりがなく、一人で生きて一人で死んでいくものだと思っています。

どんな死に方をするか、孤独死するかもと不安に思うよりも、今と明日を精一杯生きることのほうがはるかに大事です。

たくさんの家族・友人に囲まれていたとしても、誰にでも孤独死する可能性はあるのですから。


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摩擦を避けているとより問題が大きくなる

こんばんは、暗闇列島です。

今日、悲しい出来事がありました。

私にしては珍しく仕事意外で外出したのですが、駅の改札をスイカで通ろうとした時のことです。

私のすぐ前の男性が、スイカをかざしたところ、残高不足だと思いますが、赤ランプがつきました。

私は赤ランプが付いたのを確認する前にスイカをかざしたので、そのまま通りたかったのですが、

引き返そうとした前の男性に「どいて!」と怒られてしまいました。

男性は私を通してから引き返してくれても良かったと思いますが、どうして私が怒られなくては

いけないのでしょうか?

私もその場でそう伝えられればよかったのですが、口下手の私はとっさに言葉がでてこなかったので、

黙って改札を戻り、駅員さんに話して、もう一度改札を通してもらいました。

前の男性がちゃんと通れることを確認してから、かざす必要があったと思いますが、混雑している駅

の改札をスムーズに通れるよう常に残高不足がないか確認する、もしくはオートチャージの設定をして

ほしいものです。

 

前段が長くなりましたが、私が人付き合いの下手なコミュ障の口下手になったのは、元々の性格、成育環境などいろいろ原因はあったと思いますが、面倒くさがりやだったことも一因だったと思います。

何か人とのちょっとした行き違いがあっても「まあ、いいか。ちょっとしたことだし。訂正するのも面倒だし。」となあなあでやり過ごしてきました。

小さなことで一々反論めいた事を言ってさざ波を立てるよりはそのまま見逃したほうが合理的だと思っていました。

面倒くさがりの私はそれが合理的だから、小さなことはおいて置き、大局を見ているのだ、と自分に都合よく考えていました。

しかし大局とは、小さなことの積み重ねです。

小さなことをおろそかにしてきた結果、今の自分が砂上の楼閣のように存在しているような気がしてなりません。

人との行き違いがあったら、その場その場で修正しておくことは手間がかかることではありますが、大きな問題にしないようにする一番の方法だと思います。

今まで小さなことに目をつぶり、事が大きくなってから騒いでいました。

そうではなくて、小さな問題のうちに芽を摘むように、やり方を変えます。

小さな問題であれば、摩擦も少しで済みます。

大きな問題になってから動いても遅いのです。

 

もっと若いころにいろいろ気づければよかったのですが、ようやく今になって気づきました。

私は人より気づくのが大分遅いと思いますが、それも自分の持ち味だと考えることにします。


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